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3/26でUDSの社長を退任、
21年のUDSライフにピリオドを。

都市デザインシステム、瀬底ビーチリゾート
そしてUDSをご支援頂いた皆様、
長い間、お世話になりました。

心より、感謝を申し上げます。

2008年民事再生となり、債権者、社員、
内定者をはじめ、たくさんの方々にご迷惑を
かけ、心よりお詫び申し上げます。

経営の力不足で申し訳ありませんでした。

退場処分になるべきところ、救って頂いた
コクヨ株式会社の黒田英邦社長には本当に
感謝しかありません。

先日、退任の報告と御礼に伺った際に、
UDSがお世話になっていた当時、コクヨ
としても課題だったことが、ここ何年かで
着実に改善、成果を挙げているとお聞きし
一時期、組織の末端に加えて頂いていた身
としてとても嬉しく、勇気も頂きました。

コクヨ、そしてアクタスの皆様、これから
も背中を追い続けます。
本当にお世話になりました。

民事再生でさらに破産のリスクが続く中で
再建を志して一緒に熱ーく戦ってくれた仲
間、そして、信用不安のある会社に次々と
入社頂いたUDSの皆さん、何よりも一番辛
い時にお仕事を下さったクライアントの
皆様のお陰で、UDSが存続できました。

本当にありがとうございました。

以下、長くなりますが

①これまでの振り返り

31歳で入社以来、コーポティブハウスや
キッザニアなど、今考えてもワクワクする
プロジェクトに恵まれて、また刺激的な仲間
がどんどん増えて、日々成長痛を感じること
のできる本当にありがたい環境でした。

同時に、IPOを夢見て採用・人事、経営企画
に勤しみ、本格的に経営者としてのキャリア
もスタートしました。

911やら姉歯・ホリエモン事件、とどめは
サブプライムなど、ことごとく環境に勝てず
3度の上場承認を頂きながら未遂に終わると
いう不名誉な結果ともなりましたが、いまと
なっては、良い教訓を多々得られました。

民事再生後は、より一層、社会的意義のある
ことをすべきという思いで、自分なりには
地方創生とキャリア教育にフォーカスして
経営もプロジェクトも全力疾走してきたつも
りです。

2010年、一年間、北京に常駐し子どもの職業
体験施設を必死の思いで開業までこぎつけた
後に、今度は梶原さんが家族で中国移住して
本格的な中国展開を始めることとなり、僕は
日本に戻り、国内の経営にあたりました。

帰国後まもなくして東日本大震災。

民事再生、ホテルカンラ&アンテルームの開
業経費、そして震災と逆境続きではありまし
たが、当時のUDSメンバーの今では完全に、
ブラックと言われるであろう猛烈な働き方と
気合や根性といった前近代力で足りない能力
と信用を跳ね返し、なんとか黒字化を果たし
てきました。

想いや目標に向けた一体感の大切さを学ぶこ
とができ、貴重な経験をさせて頂きました。

個人的な目標にしていた地方でのお仕事も
7年以上のお付き合いを頂けている鹿児島県
薩摩川内市をはじめ、習志野市、海老名市、
福井市、上越市、宇治市、周防大島、滋賀県
近江八幡市、米原市、長野県佐久穂町、福山
市常石、神保町そして宮崎県都農町と数多く
のまちづくりに携わることができました。

お世話になりました地域のみなさまには、
感謝の気持ちでいっぱいです。

引き続き、所属・立場は変わりますが少しで
もお役に立てるよう腕を磨き続けます。

また、もう一つのテーマにしていたキャリア
教育では、何と言っても慶應義塾大学SFCの
井庭崇教授にお世話になりました。

ほぼ飛び込みからスタートした共同研究プロ
ジェクトで、パターン・ランゲージをベース
に地方のまちづくりでたくさんのワークショ
ップをリードして頂き、今年予定のものを
含めて3冊目の共同出版も実現できました。

井庭さんのおかげで、プロジェクトデザイン
やおもてなし、マネジメントを客観的なパタ
ーン・ランゲージで考えることができ、より
自分としての価値基準を持つことができま
した。

パターン・ランゲージは世の経営者にもっと
オススメしたいです!いいですよ。

さらには夢でしかないと思っていたイエナ
プランスクールが実現し、校舎のリノベや
給食提供でお手伝いできたことは、僕の中の
満足度が最高潮に達した出来事でした。

大日向小学校関係者の皆様には、
感謝しかありません。

関西学院大学、成城学園高校、都立日野台
高校、近江兄弟社高校、周防大島東和中学校
新渡戸文化学園の皆様にも大変お世話になり
ました。

これからも、日々の仕事のライブ感を学生の
キャリアにつなげられるよう努めますので
よろしくお願いします。

②社長継承プロジェクト

まちづくりと海外展開でのさらなる成長を果
たすため、ロマンスカーミュージアムの企画
設計でお世話になっていた小田急電鉄からお
声がけを頂き、恩人であるコクヨの寛大なる
ご理解のもと2015年から小田急電鉄が株主、
投資家となりました。

その際、小田急電鉄と経営委任契約を結ぶ上
で、5年間の契約期間内に社長の役割を若い
人に継承したいとの要望をお伝えしました。

都市デザインシステム時代から、アイデアと
デザインを売りにする会社なので、経営者は
若くあるべきという想いのもと、いかに早く
次期社長にバトンを渡せるか、梶原さんとと
もに、目標にしてきました。

自分も30代から代表として経営に携わるチャ
ンスを頂き、失敗ばかりでしたが、生きた
経営体験が何よりもの学びになったと実感
してました。

社長継承については、ここ数年、僕にとって
は1つ、というよりは最大のプロジェクト
でした。

しかし、社長継承って難しいものでした。。
これだけで1冊本が書けそうです。

どうしても今の梶原さんや自分をベースに
考えてしまうところがあり、、それは極めて
属人的なことでもあるので永遠に未解決・・

その思考から脱却するのにしばらくの時間は
要しましたが、だいぶ整理もつき、とはいえ
僕自身が実際にはまだまだ元気一杯で、なか
なか踏ん切りつけたり、きっかけを作るのが
難しいものでした。

ということで、結局そのままズルズルと、は
本当に良くないなと思い、確実に一番先に決
められるのは自分のことだったので、自分が
辞めることをまず決めました。

そして1年ほど前に執行役員たちにも意見を
聞いて、まずは新しい取締役として3人を次
世代経営者として推薦、株主の承認をもらい
経営チームに加わって頂きました。

その後、経営チームで話し合いを重ねて、最
後はUDSらしく一番やりたい人に新社長を
お願いすることができました。

個人的に小田急電鉄で一番お世話になった
小川副社長に退任のご挨拶に伺った際、本当
に5年で辞めるとは思わなかったな、と笑い
ながらも嬉しい言葉も頂きました。

細やかながら有言実行できて良かったです。

小田急電鉄の皆様には100%子会社なのに
常勤役員なし、日常のマネジメントはUDS
の個性を尊重頂き、自由でスピーディーに
行わせて頂き、感謝しております。

③これからのこと

UDSは「社会課題の解決」と「利益がでる仕
組み」を全体として構想し、「かっこいいデ
ザイン」と「創造的なおもてなし」で具現化
し続ける、この全体観で、関わる人のモチベ
ーションを高めてた、と自分なりには整理を
しています。

その中でこれから、より「社会課題の解決」
にフォーカスしたいと50代のキャリアを考え
はじめました。

単にこれまでのささやかな実績、経験を糧に
顧問業やコンサルティング的なことをするの
は個人的には性に合わないな、と思いつつ、
といって鮮度を持って東京で何か起こしてい
くのはもう一つモチベーションが高まりませ
んでした。

日本が抱える最重要課題である人口減少、
少子高齢化、地方消滅リスクに向き合い、
その現場で自分なりの解決策を考えたいな
と思いました。

具体的には自分がやりたい住民主導のまちづ
くりや、産官学が連携した公共空間と暮らし
のデザイン、若者や子どもの超実践的なキャ
リア教育だったり。

そのような背景のもと、結果的にはここ一年
間にまちのグランドデザインづくりをお手伝
いしてきた宮崎県の1万人のまち、都農町
(つのちょう)に単身移住&起業することに
なりました。

いま、僕のやりたいことは、ほぼ全て都農町
にありました。ありがたいことです。

町の皆さんと僕たちで考えたグランドデザイ
ンが絵に描いた餅、言いっ放しにならないよ
う、ソフトもハードも含めて連続的に具現
化することにフォーカスしていきます。

今年、100周年を迎え、これからの100年を
考えるステージにある都農町。

すでに40%の高齢化率、高校廃校で若者流出
する環境に身を置くことは、東京からヨソ者
視点だけで提案に終わるよりはワクワクする
な、と確信してます。

この先、どうなるのかは甚だ微妙ですが、
よくても悪くても、少なくても自分の周りの
人たちには都農町の魅力を創って発信してい
きますので、よろしくお願いします。

④感謝の気持ち

改めてになりますが、30代、40代の全てを
突っ込ませて頂くほどの魅力的な器を作って
頂いた梶原さん、

本当にありがとうございました!

必要以上に紆余曲折ありましたが、、、
心より共感、尊敬でき、一緒に働くことが
楽しいお相手は、梶原さんの次はもう現れな
いだろうな、と思ってたら21年もお世話に
なってしまいました。

これからも家族ぐるみで、両家のライフステ
ージの変化を楽しみながら、お付き合いの程
どうぞよろしくお願いします。

そして、激動の連続を強いてしまいながら、
いつも明るく冷静に受け止め、時には笑い
飛ばして背中を押し続けてくれた器のデカい
妻には生涯感謝です。
どうもありがとう!!!

一番多感な時期に民事再生になったけど、
グレずに好きなこと追求している息子は
いつも働くモチベーションの源泉でした。
ありがとね!

激動はまだまだ続くので
これからもよろしくお願いします。

最後に、UDSのみなさんへ。

まさにコロナショックで大変な時期に、
去っていくことは申し訳なく心残りでも
ありますが、みんなで解決策を考え抜いて、
UDSらしいチームアップで新社長と共に
いいものをつくり続けて下さい!

ひなたの国より、常に応援しています。

世の中や人に対して自然体で、
常にオープンでフラットな組織のもと
チャレンジを続けるベンチャー精神が
UDSの一番好きなところでした。

逆境に打ち勝ち、生き残れる会社として
成長していくことを願っています。

ありがとうございました。